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新潟市 潟のデジタル博物館

潟の記憶

潟の記憶

 昭和20年代以降、水田の乾田化、潟の干拓がすすみ、新潟市における潟端の暮らしは大きく変わった。現在でも、潟とのかかわりは,そのかたちを変えながら続いているが、潟の動植物を生活の糧とする世代が高齢化し潟と共に歩んできたその「記憶」は失われつつある。
 佐潟、上堰潟、鳥屋野潟、福島潟での潟端の暮らしに焦点をあて、潟での生業や潟とともに暮らしてきた人々それぞれの「記憶」をたどる。
※潟環境研究所では平成27年8月~平成28年2月にかけて潟端で暮らす人々へのインタビューや潟での漁、採集活動を撮影し「潟の記憶」と題した記録映像を制作しました。この記事の内容はその撮影内容を基に作成しています。

トッコウ網漁は時間勝負《佐潟》

赤塚漁業協同組合 青柳一男さん

 新潟市西区赤塚に位置する佐潟では、盆にハスの花とりが行われる。
 佐潟で収穫されたハスの花や、地元の人が「トバス」と呼ぶ花托は、地元の商店や近隣のスーパーで販売され、仏花として、墓前や仏壇に供えられる。
 戦後、赤塚漁業協同組合が発足した当時からの組合員、青柳一男さん(昭和7年生まれ)に話を聞いた。

photo42  現在では舟で佐潟に出ることはなくなったが、佐潟でのハスの花とりや冬場の漁に長年、携わってきた。
 青柳さんは農家であるが、冬場の時期には漁で収入を得ていた。
 〝トッコウ網〟と呼ばれる円錐形の網を使って漁をしていたという青柳さん。このトッコウは一人で行う漁、腕次第で多くの魚がとれた。魚が呼吸する穴を水底に確認すると、トッコウ網をかぶせ、網の中にタモ網を入れて魚をすくう。「魚に気づかれないようにタモをいれてとることが難しい。また、トッコウは〝時間勝負〟。午後の1時以降はまったくとれなくなった」という。 
 11月になると佐潟での漁がはじまる。
 近年では、数人で協力して行う地引網漁が主流となったが、〝漁師〟たちの冬場の楽しみとして続けられている。

宝になると思ったから《上堰潟》

上堰潟田舟の会 齋藤一雄さん

 角田山のふもとに位置し、現在では多くの人々が訪れる憩いの公園となった西蒲区の上堰潟。その水はかつて、農業のかんがい用水源として利用されていた。そして、潟の周辺に広がる田で農作業をするためにかかせないものがあった。それは〝田舟〟である。
 9月、上堰潟田舟の会が、潟に新しい田舟を浮かべるというので、その様子を撮影させてもらった。

 「上堰潟は格好の遊び場だった」と語る、上堰潟田舟の会の齋藤一雄さん(昭和20年生まれ)。
 子どものころ、農作業用に係留してある舟を拝借して遊ぶのが楽しみだったそうだ。
 齋藤さんが「宝になると思って残しておいた」という田舟は、イベント時や地元の小学生向けの乗船体験で利用されている。

舟漕ぐのなんて自然でした《鳥屋野潟》

清五郎在住 松原昇平さん

 中央区の鳥屋野潟南部に清五郎という地区がある。かつて、清五郎の集落には集落を貫くように鳥屋野潟と清五郎潟をつなぐ川が流れていた。
 その川は集落の暮らしと密接にかかわっていた。かつては、生活用水や飲み水として川の水を使っていた。
 また、収穫した稲などを運ぶ水路でもあり、周辺の田で刈り取られた稲は、川端にあったハサ木にかけて干すために、舟で運んだ。
 「舟漕ぐのなんて自然ですわ。歩くと同じ」と語る、清五郎地区の松原昇平さん(大正14年生まれ)。
 昭和23年に栗ノ木川排水機場ができる以前、清五郎川、鳥屋野潟、栗ノ木川を舟で漕いで移動した経験がある。

追い込み漁(扇網)

 鳥屋野潟の撮影では、鳥屋野潟漁業協同組合の協力で、かつて鳥屋野潟、清五郎潟で行われていた投網、刺網、オウギアミを用いた漁法を実演してもらい、それを撮影した。
 投網や刺網はある程度の大きさのあるコイやフナを狙い、オウギアミは雑魚をとるために用いた。
 現在では、鳥屋野潟で漁をする人は数人になったが、自家用にとるほか、地域の催しでコイやボラ、スジエビなどが食されている。

みんなたまげたね、二束も担いで《福島潟》

新鼻甲在住 横山フジノさん

 北区にある市内最大の潟、福島潟。かつて、潟端の集落の女性たちが、ヒシの実を収穫し、市(いち)に出すなどして、収入を得ていた。
 9月、現在も行われているヒシの実の収穫を撮影した。ヒシの葉が茂る水面に手を伸ばし、葉をつかんで裏返す。そして、ひとつずつ実をもぎとる。
 潟端の新鼻甲に暮らしてきた横山フヂノさん(大正14年生まれ)は、「ヒシもぎやヨシ刈りをして家計の足しにしていた」という。
 ヨシ刈りは入札で、刈る場を決めた。下草を手で落としながらヨシだけを両手で抱えるほどの束にしていく。
 横山さんは、自分の背丈よりもはるかに高いヨシの束を頑張って二束もかついで運んだときは、さすがに驚かれたそうだ。よいときで、一日に30束ほど刈ったというヨシは、良い収入になったという。

 ビュー福島潟「潟来亭」の管理人で福島潟の潟端に暮らす、佐藤了さんと長谷川哲夫さんは、現在でも福島潟で漁をしている数少ない〝漁師〟だ。
 福島潟とつながる新井郷川で川ガニをとった話、かぶせ網を使い、フナなどの魚をとっていた話を聞かせてくれた。潟では、かつて簀立てをたてて、本格的な漁も行われていたという。福島潟の干拓が終わる昭和40年代以降、漁に出る人は少なくなった。
 しかし、近年では、地元の新鼻甲自治会が、地域の行事やイベントの場で、福島潟でとれたヒシやハスの実、雑魚や川ガニなどの潟の食材を使った料理を振る舞う活動に取り組んでいる。

※肩書き・役職等掲載情報は、平成28年2月現在のものとなります。
※記録映像『「潟」の記憶―潟と共に生きる人々の物語―』は本ホームページ内にてご覧いただけます。
配信ページはこちらから(本編ダイジェスト版