learn

新潟市 潟のデジタル博物館

潟の成り立ち

 越後平野は、信濃川や阿賀野川といった大きな河川により運ばれてきた土砂が堆積してできた沖積平野(ちゅうせきへいや)です。沖積平野は、扇状地、後背湿地、三角州、海岸低地、自然堤防、海岸砂丘などのいくつかの地形に分けられます。これらの地形は、くり返しおこった河川の氾らんにともなう土砂の堆積、平野の沈降、海面のわずかな上昇や下降などの現象が重なり合って、しだいに形成されてきました。
 江戸時代以降、放水路や排水路が掘られ、多くの潟が干拓されて農地に変わり、さらに一部は住宅地へと変わってきました。しかし、「潟」のもとになった後背湿地や池沼といった地形は、越後平野ができる中で形成されたものなので、水をためやすいという性質をそのまま受けついでいます。

越後平野の変遷

 越後平野の形成史はいくつか提案されてきていますが、ここでは、鴨井・安井(2004a,2004b)及び国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所編・小林巌雄監修(2007)に基づいて作成した、越後平野の移り変わりを示す古地理図を使い、平野の変化のようすをたどります。
 越後平野では、これまでにたくさんの地質(ボーリング)調査が実施され、多くの資料が集められています。地質調査にともなってボーリングコア注1)試料が得られますが、これを利用して、地層の種類や重なり方を調べ、含まれる化石を分析注2)して地層がたまった時の環境を調べたり、年代測定(放射性炭素年代測定)が行われてきました。
 古地理図は、地質調査の際に作られる地質柱状図をもとに、その地層が堆積した場所(環境)や時代を考えながら、いくつものルートに沿って地質断面図を作成し、それらを立体的につなげて作成します。地質断面図を作る際には、こうしたボーリングコアの分析結果がたいへん役に立ちます。
 それでは、こうして復元された古地理図に沿って、越後平野の移り変わりを時代を追って順に見ていきましょう。

 約2万年前は非常に寒い時代で(専門家たちは、この時期を最終氷期最盛(最寒冷)期と呼んでいます)、北アメリカや北ヨーロッパで南極大陸でみられるような厚い氷(大陸氷河)が発達しました。そのため海水が減り、世界中の海水面が100メートルあまりも下がったため、海岸線は現在よりもずっと沖合にありました。このころの越後平野は、広い扇状地性の河原だったと考えられます。やがて氷期が終わって間氷期に入り、約15,000年前ころからだんだんと暖かくなり海水面はしだいに高くなっていきました。この海面上昇を、広い意味で縄文海進(じょうもんかいしん)と呼んでいます。

 約9,000~7,000年前になると、現在の越後平野の海岸寄りの部分は海水につかるようになります。そして、岩船から豊栄、亀田、角田浜にかけて、細長く海底に砂の高まり(砂州)ができはじめます。やがて、この砂の高まりがもとになって最初の砂丘(新砂丘Ⅰ-1注3))が形成されました。そして、その内側に古塩津潟・古福島潟・古白根潟などの鹹水(かんすい)注4)〜汽水の潟湖(せきこ)ができました。約6,000年前は、ヒプシサーマル(最適温暖期)あるいは縄文海進高頂期と呼ばれるもっとも暖かい時期で、海岸線が一番内陸まで侵入した時代です。この時の海岸線は吉田−燕付近にまで達していたと考えられています。

 約5,000 年前、阿賀野川の上流にある福島県の沼沢火山が噴火し、大量の軽石や火山灰が阿賀野川によって日本海へ運ばれ、河口に三角州を作り、一部は砂丘の材料になりました。このころまでに越後平野中央部は土砂によってほぼ埋められ、泥炭が堆積するような湿原や潟が広がり、現在の環境に近い状態が形作られました。

 その後、新しい砂丘がつぎつぎに付け加わることによって、約3,000 年前には海岸線が鳥屋野潟付近まで移動し、砂丘が広がりました。平野の東側では水域が縮小し、加治川が河口を砂丘に塞がれて南下し、阿賀野川に合流していました。

 約2,000 年前にはさらに海岸線が海側に移動しました。この時期は弥生の小海退(しょうかいたい)と重なるせいか、平野の西側では泥炭地が大きく拡大しました。信濃川の河口は、依然として現在の新川付近にありました。一方、福島潟付近には湛水域(たんすいいき)が広がりました。

 古墳時代(3世紀中ごろ~7世紀)以降になると、新砂丘Ⅲが大きく発達します。信濃川の河口は新砂丘Ⅲの成長とともに次第に東方へ追いやられ、現在の位置に移動します。一方、阿賀野川も砂丘で流路がふさがれ、砂丘間低地を通って現在の信濃川河口付近で日本海に注ぐようになりました。二つの大河の河口が一つになることによって水はけが悪くなり、流域に湛水域が広がって沼沢地(しょうたくち)が所々に出現するようになりました。

図1:越後平野の変遷 (鴨井・安井,2004a,2004b)

注1) ボーリングコア: 試錐コア(しすいこあ)とも呼ぶ。地層から抜き取った円筒状の土の標本。
注2) 化石の分析: ボーリングコアには貝化石や植物化石など目に見える化石や、有孔虫(ゆうこうちゅう)や珪藻(ケイソウ)といった顕微鏡を使わないと見られない小さな化石がしばしば含まれています。これらを分析することによって、その地層がたまった時の環境を推定することができます。
注3) 新砂丘Ⅰ-1:新潟砂丘は、古い方から大きく新砂丘Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの3つに分けられ、さらに新砂丘Ⅰは古い方からⅠ-1~Ⅰ-4の4列に、新砂丘Ⅱも古い方からⅡ-1~Ⅱ-4の4列に、新砂丘ⅢはⅢ-1、Ⅲ-2の2列にそれぞれ区分され、全部で10列に分けられています。新砂丘Ⅰ-1は、もっとも内陸側にある、もっとも古い砂丘です。
注4) 鹹水(かんすい):水1ℓ中に0.5g以上の塩分を含む水のこと。これより少ない塩分の水は淡水となる。代表的な鹹水は海水であり、海水との境界に存在する汽水も鹹水に含まれます。

(補足)新潟砂丘と潟の成り立ちの関係

 新潟砂丘は角田山麓から村上市瀬波まで約70キロメートルに及び、多いところでは10列からなり、幅は最大で10キロメートルもあります。新潟砂丘はこれまでに、砂丘に含まれる有機物や砂丘間低地の腐植土の放射性炭素(14C)年代測定によって、1列ごとに形成年代が推定されていましたが、最近になって暦年較正(れきねんこうせい)注5)が行われ、新砂丘Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの形成は、約6,000~4,500年前、約4,000~1,700年前、約1,700~1,100年前以降から、約7,600~4,800年前、約4,600~1,400年前、約1,800~900年前以降にそれぞれ修正されました。
 なお一般に、海岸砂丘は、河口から海に流れ出た土砂が、沿岸流に運ばれて海浜に堆積し、季節風によって吹き飛ばされて内陸側に作られた小高い丘とされます。しかし、新潟砂丘は、風成層(ふうせいそう)注6)からなる厳密な意味での砂丘ではなく、海岸沿いに分布する砂層の地形的高まりであり、漠然と「砂丘」と呼んでいます。
 この新潟砂丘の形成は、潟の成り立ちにとって大きな意味を持っています。一つは、この砂丘の形成によって越後平野の形・大きさが決まったこと。二つ目は、現在の海岸沿いに安定した厚い砂の地盤を堆積させ、人の生活の基盤となる土地を作ったこと。そして、三つ目は、排水の障害となって、内陸側に湿原や潟をたくさん作ったことです。しかし、広い低湿地帯ができたということは、逆に、干拓による広大な水田の開発を可能にし、今日の穀倉地帯の基盤を作ったと見ることもできます。

image_naritachi1b
図2 :砂丘列の分布「新潟市史資料編12 自然」より作成、一部改変

注5) 暦年較正(れきねんこうせい):放射性炭素である(14C)は、一定の速度でこわれて12Cに変わっていきます。放射性炭素年代測定法は、この性質を利用したものです。大気中の14Cは自然に減っていきますが、窒素と宇宙線の反応によってたえず作られるので、減った分はすぐに回復します。しかし、大気中に含まれる14Cの濃度はつねに一定ではなく、時代によって微妙に変化しているため、暦年代(西暦(AD)とか紀元前(BC))に置き換えた場合にズレが生じてしまいます。これを補正する作業を暦年較正といいます。
注6) 風成層(ふうせいそう):風の作用によって岩石の細片、砂、粘土、火山灰などが運搬され、堆積してできた地層。

参考文献

青木滋・歌代勤・高野武男・茅原一也・長谷川正・長谷川康雄・藤田至則(1979)3新潟平野の形成とその災害をめぐって.アーバンクボタ17、特集=信濃川と新潟平野 久保田鉄工株式会社、22-43
卯田強(2009)「改訂版 福島潟のおいたち」湖研究会(新潟大学理学部自然環境科学科卯田研究室内)
鴨井幸彦(2016)「ほくりく地盤情報システム」を利用した越後平野中央部における防災基本情報としての泥炭層(軟弱地盤)の分布解明.平成27年度 第20回 「北陸地域の活性化」に関する研究助成事業論文集、一般社団法人 北陸地域づくり協会、67-72
鴨井幸彦・田中里志・安井賢(2006)越後平野における砂丘列の形成年代と発達史.第四紀研究、45(2)、67-80
鴨井幸彦・田中里志・安井賢(2015)暦年較正年代による新潟砂丘列の形成年代の見直し.第四紀研究、54(3)、139-143
鴨井幸彦・安井賢(2004a)越後平野の古地理的変遷.日本第四紀学会2004年大会講演要旨集、34、45-46
鴨井幸彦・安井賢(2004b)古地理図でたどる越後平野の生いたち.土と基礎、52(11)、8-10
鴨井幸彦・安井 賢・小林巌雄(2002)越後平野中央部における沖積層層序の再検討.地球科学、56(2)、123-138.
小林巌雄(1994)「第一編 原始 第1章自然環境」 巻町(編)『巻町史 通史編 上』 巻町
国土交通省北陸地方整備局企画部・公益社団法人地盤工学会北陸支部(2012)『新潟県内液状化しやすさマップ』
国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所、小林 巌雄(監修)(2007)『信濃川・越後平野の地形と地質~信濃川・越後平野の生い立ちを探る~』北陸建設弘済会
小林巌雄(2005)「大地をさぐる~越後平野の生い立ちと生活~」『ふるさと新潟 新潟愛郷会 講演特集第3号(平成17年度)』新潟愛郷会
堆積学研究会編(1998)「堆積学辞典」朝倉書店
地学団体研究会編(1996)「新版 地学事典」平凡社
新潟県地盤図編集委員会編(2002)新潟県地盤図および説明書.(社) 新潟県地質調査業協会,66p.
新潟市編(2011)『新・新潟歴史双書6-新潟砂丘-』 新潟市 
新田義信(2006)『越後平野のなりたちⅠ』野島出版
日本陸水学会編(2006)「陸水の事典」講談社
町田貞ほか編(1981)「地形学辞典」二宮書店
安井賢・小林巌雄・鴨井幸彦・渡辺其久男・石井久夫(2001)越後平野中央部、白根地域における完新世の環境変遷.第四紀研究、40(2)、121-136