新潟市潟のデジタル博物館

潟の記憶

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阿賀野川の支流・小阿賀野川のほとりに位置する新潟市江南区木津。稲穂がたなびく豊かな田園地帯だが、かつては「地図にない湖」とも呼ばれた泥田で、大正2年の木津切れなど、小阿賀野川の決壊によって数多の水害に見舞われた。
木津には上・中・下と3つの集落があるが、中でも下木津は常に被害が大きく、上木津や中木津に比べて生活も苦しかった。しかし、不遇だったからこそ生まれた宝がある。全国的にも注目されている「棧俵神楽(さんばいしかぐら)」だ。
貧しさから他の集落のように立派な獅子頭は買えなかったが、そこから気持ちを切り替え、集落の誇りと安定した実りを獲得してきた下木津の人々…人と水の共生の歴史を紐解いてみよう。

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田畑の恵みから成る
手作りの神楽

 世間広しといえども、このような神楽はあまり見当たらない。なにが珍しいかというと、塗りの獅子頭が一般的な世の中で、木津の「棧俵神楽」はすべて田畑の素材からなる手作りの獅子頭なのだ。獅子の口は米俵のフタとなる「棧俵(さんだわら)」を2枚合わせたもの。目はナスで鼻はかぼちゃ、髪はクマビエ、歯は唐竹を割り、それを金紙で包んだものだ。どこか笑っているようなユーモラスな表情は、見ているだけで楽しい気分にしてくれる。
 ところで、木津は上・中・下と3つの地区により形成されているが、上には諏訪神社、中は日吉神社、下は賀茂神社があり、それぞれの地区の氏子によって祀られている。中木津の日吉神社には立派な大神楽があり、いまも秋祭りには神楽舞が奉納されているが、昔から下木津の賀茂神社だけが大神楽を持たず、手作りの「棧俵神楽」が受け継がれてきた。

獅子頭を作る三井栄作さん
獅子頭を作る三井栄作さん

稲わらで獅子の頭を
一束一束編んでいく

 木津まつり(賀茂神社秋季祭礼)まであと1週間というころ、木津の水戸口集会所では神楽づくりが始まっていた。作り手は棧俵神楽保存会会長の金子甚一さんをはじめ、5人のメンバーだ。1週間で大人用と子ども用の獅子頭2頭を作る。
 夜7時半、仕事を終えたメンバーが次々と集まってきた。一束の稲わらを型に合わせ、日に焼けたたくましい手で次々に棧俵を編んでいく。冗談を言い合いながらも、力強く、無駄のない動きが繰り返される。
 棧俵が編み上がると、踊り手の石井さんが噛み合わせを確認する。この作業が肝心。棧俵神楽は、獅子頭の中に渡した棒を噛んで支えて踊るので、この噛み合わせが舞を左右する。獅子頭の重さは7〜8キロ。これを歯で支えるのだから、よほど丈夫な歯と強いあごを持った人でないと無理だろう。

大正2年の木津切れを必死で復旧する村人たち(写真協力:亀田郷土地改良区)
大正2年の木津切れを必死で復旧する村人たち(写真協力:亀田郷土地改良区)

水害の歴史と
棧俵神楽の起源

 棧俵神楽の起源は、明治30年頃、一人の若者が踊った滑稽な舞がその始まりといわれている。ある秋祭りの晩、みんなでお宮に集まっていたところ、お神酒で酔った若者の一人がやおら立ち上がり、即興の舞いをやって、集まっていた氏子たちを爆笑させたという。そのとき使ったものが、古い棧俵2枚と蚊帳だったそうだ。
 その場の勢いで舞い踊られた神楽舞だったが、その舞は「今年こそは本物の大神楽を買ってほしい」と願う若者たちの、氏子役員に対する精一杯のデモンストレーションだったともいわれている。
 なぜ下木津だけが大神楽を持てなかったのか。その理由を紐解くと、幾度も水害に見舞われたこの地域の悲しい歴史にたどり着く。
 明治30年当時の木津は水害の連続で、県の水害史にも残る「木津切れ」で有名な地域だった。宝永4年(1707年)から大正15年(1926年)までに破堤した数は13回。堤防が決壊するたびに家は浸水し、稲が全滅することもしばしばだったそうだ。
 とくに下木津は被害が大きかったため、上木津、中木津に比べて生活も貧しく、大神楽を買う余裕などなかったという。
 大正2年(1913年)には賀茂神社前の五本榎(ごへのき)堤防が決壊し、下木津はそれまでにない大きな被害を受けた。死者2名、流失家屋2戸を出し、住民は木津小学校の2階で相当の間、避難生活を余儀なくされる。
 不思議なもので、棧俵神楽は、この水害を契機に発展し、伝統として受け継がれていくことになる。
 その年は水害の後始末で秋祭りも中止になった。生活の苦しさをひしひしと感じていた若者たちは、大神楽を買ってもらうという長年の夢をきっぱりとあきらめ、棧俵2枚だけの神楽をもっと立派なものにして賀茂神社に奉納しようと気持ちを切り替えたのだ。そこで知恵を出し合って作られたのが、今日も続いている手作り神楽の始まりだという。

賀茂神社奉納
賀茂神社奉納

神楽が家々を廻る
木津まつり

 木津まつり(賀茂神社秋季祭礼本祭)の一日は、朝8時の神明宮みやのぼりに始まる。朝7時半すぎ、杉木立の中にひっそりとたたずむ神明宮の前に大きなござが敷かれると、村のほうぼうから人々がやってくる。宮司さんの祈祷が終わると、いよいよ棧俵神楽の奉納だ。清々しい朝の杉木立に、シャンシャンと錫杖(しゃくじょう)の音が響き渡る。その後、拝殿内では子どもたちによる手踊が奉納された。この後、神楽は家々を廻り、座敷や庭先で神楽を舞って厄を祓う。

獅子頭を小阿賀野川に還す。
獅子頭を小阿賀野川に還す。

厄を祓い、川に還す
神楽送り

 午後2時、賀茂神社で最後の奉納舞を終えると、一行は神楽宿である集会所に戻ってくる。そして、そこで身支度を整え、道行きの太鼓を鳴らしながら、小阿賀野川の土手へと向かう。いよいよ祭りの最後の行事「神楽送り」だ。厄をいっぱい吸収した獅子頭を川に流して、祭りが終わる。
 棧俵神楽には祭りの起源が残っている。大地と水への畏敬の念は、祭りを通して子どもたちにも自然と受け継がれていくのだろう。神楽を真ん中に、みんなで喜びと笑いを分かち合い、「また来年」と心を寄せることで、言葉にできないまとまりが生まれるという。
 実りの季節。木津の田んぼには金色の稲穂が輝いている。豊穣の大地と水に感謝を捧げながら、恵みの新米をいただこう。

■賀茂神社秋季祭礼・棧俵神楽
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開催:9月第一土曜、日曜
場所:賀茂神社(新潟市江南区木津)
お問い合わせ:
棧俵神楽保存会・会長 金子甚一
電話025-385-2453

※肩書き・役職等掲載情報は、平成27年6月現在のものとなります。