新潟市潟のデジタル博物館

潟を知る

生業~潟は生活を支える場だった~

 生業とはいわゆる「生計を立てていくための仕事」「生活を営むための仕事」のことです。潟の周辺に住む人々は潟の豊かな環境、潟から得られる恵みを、知恵を働かせ、さまざまな形で利用し、収入を得ていました。
 潟の生業として関わりが深いものは、漁業、農業、狩猟などが挙げられますが、その他、潟の植物を加工し販売するなどもしていました。
 このように潟の周辺に住む人々にとって、潟は仕事をする場所、日々の生活の基盤を支える場所としてとても重要でした。

漁業~潟は魚の宝庫だった~

 昭和30年代頃まで、漁の目的は自分たちで食べるだけでなく、コイやフナなどを捕って行商で売ったり、仲買人に売り現金収入を得ることでした。
 また、川を通じて海とつながっている潟では、海から上がってきたサケ、ウナギなどの海水魚も捕れていました。かつては佐潟で捕れたウナギが名産品として知られており、新潟市内の料亭に卸されていたことも文献に残されています。
 しかし昭和40年代以降、生活排水や産業排水が潟の中に入り込み、水質が悪化し、漁獲量は低下していきました。
 近年では地域住民の努力により水質が改善され、再びコイやフナなどが捕れるようになってきています。

スダテに入った鯉 所蔵:齋藤文夫氏 撮影:石山与五栄門氏 昭和32年12月

農業~田を維持する潟の土~

鳥屋野潟のジョレンかき 所蔵:亀田郷土地改良区
鳥屋野潟のジョレンかき 所蔵:亀田郷土地改良区

 潟の底に堆積した土は「ベト」「ゴミ」などと呼ばれ、養分を含んでおり田んぼの肥料としても使われました。
 低湿地の田んぼでは常に水が溜まり、排水に苦心していたため、少しでも田んぼを高くしようと、潟の底土を田んぼに入れるという作業を行っていました。
 7月になると農家が総出で舟に乗り、「ジョレン」と呼ばれる道具で、潟の底土をすくい、舟に水が入りそうになるギリギリまで大量の土を積んで陸地に上げたと言います。春になり田の水位が上がると、その陸地に上げて乾燥させた土を、田んぼのかさ上げや肥料として田の中に撒きました。
 しかし、昭和20~30年代頃に大型排水機場が造られ、用排水路が整備されて乾田化が進むと、次第に潟や川から土をさらって田に入れる作業の必要性がなくなり、このような作業は行われなくなっていきました。

狩猟~潟周辺の水鳥は特産品だった~

越後土産初編「産物見立取組」新潟県立文書館 提供
越後土産初編「産物見立取組」新潟県立文書館 提供

 潟にはガンやカモ、ヒシクイなどの水鳥が飛来します。現在、新潟市内の鳥屋野潟、佐潟、福島潟は鳥獣保護区に指定されており捕獲が禁止されていますが、保護区に指定される昭和半ば以前は、潟周辺に住む人々は潟に飛来する水鳥を捕獲し売っていました。
 狩猟は鉄砲を用いて行うことが多かったようですが、例えば、仁箇堤(西蒲区)では、昭和30年代頃まで「サカアミ(サカウチアミ)」という網を投げて、飛来する水鳥を捕獲する伝統的な猟も行われていました。
 江戸時代、赤塚(西区)の佐潟周辺で捕れた水鳥も特産品として知られ、元治元年(1864)発行の『越後土産初編』「産物見立取組」の中には、前頭として佐潟の「赤塚坂鳥(あかつかさかどり(ばんどり))」が記されています。

参考文献

・生業
新潟市史編さん民俗部会 1991『新潟市史』資料編10 民俗1、P401
豊栄市民俗調査会 1999『豊栄市史』民俗編、P427~P430
・漁業
新潟市史編さん民俗部会 1991『新潟市史』資料編10 民俗1、P313~P320
新潟市史編さん民俗部会 1994『新潟市史』 資料編11 民俗2、P234~P237
豊栄市民俗調査会 1999『豊栄市史』民俗編、P56~P65
巻史学会 1962『蒲原の民具』巻町双書第4集、P33~P35
・農業
新潟市史編さん民俗部会 1991『新潟市史』資料編10 民俗1、P242
新潟市史編さん民俗部会 1994『新潟市史』資料編11 民俗2、P219~P220
金塚友之亟 1970『蒲原の民俗』、P2~P5
新潟市歴史博物館 2012『開墾の技術史 蒲原平野のたんぼとはたけ』、P23~P36
・狩猟
新潟市史編さん民俗部会 1991『新潟市史』資料編10 民俗1、P237
豊栄市民俗調査会 1999『豊栄市史』民俗編、P54~P56
巻史学会 1962『蒲原の民具』巻町双書第4集、P35~P36
金塚友之亟 1970『蒲原の民俗』、P253~P261
新潟市 2011『新潟砂丘』新潟歴史双書6、P41~P43
【聞き取り】(敬称略)
2014年2月18日 石黒伸夫(西区赤塚)
2014年2月25日 齋藤一雄(西蒲区松野尾)
2014年3月3日 佐藤了(北区前新田)
2014年3月17日 増井勝弘(中央区清五郎)
2014年3月17日 小林正芳(中央区清五郎)